新型コロナウイルスと向き合う

新型コロナウイルス感染症対策

 新型コロナウイルス感染症の拡大に歯止めがかからない中で、医療・介護の現場をはじめとした社会生活を支える仕事に従事する皆様(エッセンシャルワーカー)に心からの感謝と敬意を表します。

 このような世界史に残るであろう疫病の蔓延は、前例に基づいて行動することはできません。新型コロナウイルスは新たに発生したウイルスだからです。その一方で、人類を何度も苦しめたペストや一世紀前のスペイン風邪など人類がこれまでに直面した経験から、感染拡大の経路や経済への影響など対策に有効な傾向を学ぶことはできます。

 私は政治家として、新型コロナウイルス感染症の第3波、そして来ないことを祈るばかりですが第4波を想定して、必要な感染症対策、そして経済対策を提案します。言うまでもないことですが、新型コロナウイルス対策に与野党は関係ありません。そして冒頭に申し上げておきますが、感染拡大中に政府の対応を「後手後手」と政治家が批判するのは、私は極めて当事者意識を欠いた批判に他ならないと考えていますので、その立場はとりません。

 本稿では①感染者数や各国の人口百万人あたりの死亡者数など科学的な数字②感染拡大の封じ込めや医療の破綻を防ぐための感染症対策③緊急事態宣言などで影響を受ける個人や企業への補償をする経済対策について議論をします。

 最初に認識しておかなければならないのは新型コロナウイルスは「わけのわからないもの」ということです。「普通に過ごせばよい」という考え方を持つ方々は、何ともないウイルスで世の中が騒いでいるだけで、普通に暮らす中で感染を拡大していけばよいと考えています。その一方で「不治の病」と考える方々は、経済は一度横に置いておいて、とにかく家にいて、欧米並みの都市封鎖を実施すべきだと考えています。

 どちらも事実である一面もあります。つまり、この「わけのわからないもの」に直面しているということをまず認識しなければなりません。意見の異なる人を否定したり、自分の意見を押し付けたりしないことが何より大切なことは言うまでもありません。



①日本の死亡率は極めて低い(ファクターXとは?)

 こうした中で、統計的なデータで「わけのわからないもの」の全体像を明確にしていくことは大事ですので、紹介していきます。

 まず、コロナウイルスはこれまでも存在していて、私たちが日常的に引く風邪の10%~15%は、このコロナウイルスによるものです。今回の新型コロナウイルスはこれまで存在していなかったウイルスです。

 新型コロナウイルスで何人の方がなくなっているか。厚生労働省によりますと、去年1年間で新型コロナウイルスで亡くなられた方は3459人です。2019年にインフルエンザで亡くなった方は3575人。2018年は3325人。2017年は2569人。年間亡くなった方の数は、インフルエンザで亡くなった方の数とほぼ変わりません。
 規模感を把握していただくためにご紹介しておくと、毎年この国で亡くなる方の数は、2017年から2019年まで順番に134万人、136万人、138万人です。

 そしてそれぞれの国家の社会や人口動態にどのような影響を与えているのか、そして被害の状況について把握しやすいのが100万人当たりの死者数です。この数値はマスコミではほぼ紹介されません。日本の大手マスコミのように感染者数に一喜一憂するのは、非常に無益なことを付け加えておきます。行政が出しているので、他社もやっているので、という理由以外にはない、大手マスコミの思考停止のなれの果てでしょう。

 さて、札幌医大フロンティア研ゲノム医科学の取りまとめによりますと、イギリスが1395人、イタリアは1392人、アメリカが1239人、日本は38人、オーストラリアは35人、韓国が25人、中国が3人となっています。この謎の致死率の低さの原因はまだ特定できていません。「ファクターX」と呼ばれています。日本の感染症対策が功を奏したのか、食生活か、日本人が過去に類似のウイルスに感染していたか、過去に摂取した予防接種が作用しているのか。残念ながら、明らかにするには時間がかかります。


(資料1)

新型コロナウイルスで亡くなった方の数(2020)  3459人
インフルエンザで亡くなった方の数  (2019)  3575人
                  (2018)  3325人
                  (2017)  2569人

出典「厚生労働省HPより国会図書館作成資料」

(資料2)
人口100万人あたりの亡くなった方の数 (1月21日現在)

イギリス 1395人
イタリア 1392人
アメリカ 1239人
フランス 1105人
世界平均  268人
日本    38人
豪州    35人
韓国    25人
中国     3人

出典「札幌医大フロンティア研ゲノム医科学HP」



②医療機関や医療従事者の間に大きな負担の偏在

 感染症対策は対象が「わけのわからないもの」と認識したうえで感情や雰囲気ではなく科学的なデータに基づいて議論することが不可欠です。ここでは、感染症対策、医療体制のひっ迫の解消についてご説明します。

 「医療体制がひっ迫」との声が上がっています。このひっ迫を防ぐ選択肢は二つあります。ポイントは医療機関や医療従事者の間に大きな負担の偏りがあるということです。この負担の偏りの解消が、解決の肝です。

 ひとつは、前回の宣言解除後、感染症病床を増やすこと、補償や支援を合わせて新型コロナウイルスの受け入れが可能な医療機関を増やすこと、そして無症状の方が療養するホテルの借り上げを確保することでした。冬の季節性インフルエンザの時期は必ず陽性患者が増えます。今のこの時期までに感染症病床を徹底的に増やすべきだ、医療の現場に補償と支援をして、コロナ患者を受け入れられる準備を民間の病院にも促すべきだと主張してきました。去年の緊急事態宣言の解除後、一貫して主張してきましたが、実現しなかったこと、力不足を反省しています。

 もうひとつは、医療機関や保健所の対応を決める「指定感染症」の運用の変更です。これは今の私の主張でもあります。今でも実現できます。日本保健所長会は厚労大臣に同じ内容の緊急要望を出していますし、医療の現場で「実際に」対処している多くの医師や看護師からも上がっている意見です。これは、すぐにでも実行できます。

 日本は人口あたりの病床数が世界でも飛びぬけていて、OECD先進国の平均の3倍近くもあります。そして感染者数の数も欧州やアメリカとは桁が違う少なさです。にもかかわらず、なぜ医療がひっ迫するのか。それは、新型コロナウイルスの「指定感染症」としての扱い方の問題です。

 現状では、患者の動線を分けたり入院する場合の隔離など厳密なルールがとられています。医療機関は、日ごろからインフルエンザの患者を受け入れるなどして、感染症対策をしておられます。この運用を柔軟にし、季節性のインフルエンザと同じように、感染拡大の防止を徹底しながら医療機関に受け入れてもらいます。医療のひっ迫は解消されます。



③「補償は権利の侵害に対して」の原則を


 最後に補償についてです。まず「新型コロナウイルスで影響を受けていない人などいない」という前提に立つべきです。そんな中で限られた財源でどのように保証をしていかなければならないのか。この国に生きるすべての皆様にコロナによって受けた経済的損失を計上していただき、その金額を補償するのが良いと思います。しかし、財源に限りがある以上それは現実的に不可能です。

「政府の対策によって、権利を侵害される個人に対して補償する」という原則をもう一度見直すことが肝要です。GOTOトラベルキャンペーンについても、実施の賛否はすでに実施されていることなので言及しませんが「なぜうちの業界はだめ?」と思うのは当然です。なぜ自動車業界は?なぜ住宅は?なぜ結婚式場は?なぜ呉服屋は?なぜ文科芸術関連の商売は?となります。
 まずは、極度の負担がかかっている医療従事者にまずは支援を拡充させます。医師、看護師、救急救命士のほか、陽性患者を受け入れに応じる医療機関にも人材の確保や設備の補充に必要な支援や補助を行います。

 次に「権利を侵害された」という原則に戻ると、営業する権利を政府の要請に基づいて放棄し、自粛の要請に従った店舗に補償をしなければなりません。これまでのような法的根拠のない自粛のお願い、ではなく補償とセットにした「要請、指示、命令」が改正案では求められます。ちなみに罰則について議論が出ていますが、時代背景を考えると刑事罰は論外です。ただ、補償を法的に明記したうえで、スピード違反と同じ程度の行政罰とセットならば、合理性はあると考えます。

 最後に個人への補償です。全員に10万円は財源の観点から二度目以降は反対です。ではどうするか。高齢者、基礎疾患をお持ちの方、気管支系の弱い方など、重症化リスクの高い方に限定して給付をし、不要不急ではなくても外出を控えることを要請します。欧米で行われている「都市封鎖(ロックダウン)」の個人版のイメージです。その指示で権利を侵害する代償として、補償を行います。生活困窮世帯への補償は、コロナ対策では、持続性がありません。コロナ対策とは別の社会保障で対策を講じなければなりません。

 インフルエンザであれ、新型コロナウイルスであれ、自動車事故であれ、人間が生きている限り命を失うリスクはゼロではありません。新型コロナウイルスに関しても、油断することなく、恐れすぎることなく、科学的なデータに基づいて、社会生活の安定を目指す一方で、自由意思に基づいて生きる権利を追求する個人の尊重とのバランスを悩みながら、意思決定をしていくことが政治に求められています。