豊橋で元プロボクサーの男性が作る
「フクイのカレー」知ってますか❓
東愛知新聞客員編集委員として
執筆させていただいた記事です🖋
最後の文章は、かなりこだわりました🖋
カレーと言えばスパイス、人生の経験も…😆
ぜひお読みください😊
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「人生谷あり谷あり」
全国的人気の「フクイのカレー」を生んだ豊橋出身元プロボクサーの半生
酷暑の昼下がり、豊橋市郊外の幸公園沿いのカフェ。マラソンの記念ティシャツを着た細身の男性がにこやかに待ち受けていた。
豊橋市出身の福井英史さん56歳。自身の名字を冠した「フクイのカレー」を豊橋市で生産・販売している。「フクイのカレー」は、宣伝・広告を行わず、自身の工場での店頭販売と取り寄せ以外では入手できない。にもかかわらず、口コミだけで全国的に広がり、テレビや新聞でも紹介されている。プロボクサーの経験から「人生谷あり谷あり」といかなる時もやらなけれあならないことを全力ですべきという姿勢を崩さない。その半生を取材した。
豊橋工業高校に通う福井青年(当時17歳)は、166センチと小柄だった。親がテレビで見ていたボクシングで、小さくても躍動する具志堅用高がチャンピオンとなるのを目の当たりにし、体が小さくてもこの世界なら輝くことができると確信し、ボクシングを始める。そして弛まぬ努力をつみあげ、ボクシングにのめり込み、プロボクサーを夢見る。
夢実現に向け、18歳で豊橋を離れ、プロボクサーを目指して上京。名門ジムに入門するはずが無名ではできず、住むことを確保するためにレストランに就職した。相当過酷な勤務ではあったが、出勤前に走り、終わった後に練習をしていた。午前2時に仕事が終わったあとも、走った。その努力が実り、19歳でプロボクサーに。
「本当に苦しい毎日だったが、夢のようだった。仕事をした後に試合前の計量に臨み、試合をした後、夜勤に出ていた。夢にまで見たプロボクサーとしての毎日に浸っていたかった。」
夢のようなプロの生活は23歳で終わる。現役時代は5勝5敗1分。食事も自分で作り、誰よりも練習に打ち込んだ。ストイックな人間が集まるプロボクサーの名門ジムの中でも、福井は誰よりも練習していると言われるほど練習した。その上での自身の成績にボクサーとしての限界を感じていた。万全に仕上げて迎えた試合に敗れ、引退を決意する。
それでもケジメをつけたいと2年後、引退試合に臨む「負けたらやめる」の決意で後楽園ホールのリングに立つ。負けて、けじめがついた。2年前、とことん自分を追い込んで、これ以上できないというところまで仕上げても負けた。そして今回、できる範囲で、自分を仕上げた。どちらの仕上げ方でも負けたことで、ボクシングに別れを告げる。
引退後、飲食店で働くなどした後、32歳で豊橋に戻る。今までの飲食店で仕事をした経験を活かして、カレーを作ろうと思い立つ。「正直、特に僕こそ一流、正統派、そういう感覚は全くありません。カレーは、家の味には間違いなく叶わない。だから家で作ることのできないカレーというところはこだわって行きたい」フクイさんは話す。
店頭での販売は行わず、広告も行わない。それでもテレビや新聞で頻繁に取り上げるほどの人気。自宅の横に調理場があり、自宅で販売するスタイルも変わらない。「今でも谷あり谷ありです。プロボクサーとして、多くのことを学びました。スタンドの半分は僕の敵を応援している。地元の選手や有名選手なら尚更。それでもやるべきことをやるしかない。カレーの販売もそう。誰も味方がいなくてもやりたいことやるべきことに取り組む。間違ったことをしなければ、潰れることはないかなと目先のことに集中していきたい。フクイのカレーでも食べてみようかなと思ってくれる人を1人でも増やせるように頑張りたい」
ボクサーとして世界チャンピオンになったわけではない。多くの弟子をかかえる高級ホテル伝統のカレーでもない。しかし、誰にも真似できない、圧倒的な評価を得続ける「フクイのカレー」。夢を追いかけた経験、プロボクサーとしての自分を追い込んだ経験、置かれた状況に感謝し、その中で全力を尽くす。その姿勢が「フクイのカレー」人気のスパイスかもしれない。
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