少し長いですが、僕が新党に参加を決めた理由です。ご高覧いただければ幸いです😊
「この程度の差で一つになれなければ、
政権など永遠にお預かりできない」
私は、国民民主党と立憲民主党が解党して創る大きな塊、新党に参加をすることを決めました。そのいきさつや理由について、お伝えをします。
6年前の12月、11年勤めたNHK記者職を辞し36歳で「民主党」の候補者として衆議院選挙に立候補をしました。落選をしている間に「民進党」に名前が変わりました。3年前の衆議院選挙では「希望の党」に名前が変わりました。そして比例復活当選をさせていただき、その直後に「国民民主党」に名前が変わりました。
これまでは、名前の変わる前の政党を「後継」する政党に所属をしていたので、自発的に動いたことはなく、党名に特別な思い入れは正直あまりありませんでした。むしろ、次々と名前が変わり、そのたびに収支報告書やポスター、それに掲示板の党名の変更など膨大な手続きが発生することからも、心のどこかで野党の幹部に対して「勝手にしてくれ」という怒りを含んだ、どこか他人事のような感覚すらありました。
しかし今回は、両党は「解党」をして新党を創ることになります。自分の意志で、自分の責任で、第一歩を踏み出します。この一連の動きに対して、多くの国民の皆様から期待感がないことも感じています。もともと背水の陣で、今回は、すでに腰まで水に浸かっての最後のチャンスととらえてこの新党に飛び込むことを決意しました。3つの理由から説明をさせていただきます。
第一の理由は、新党に参加することが今まで掲げてきた政策の実現への最短距離と考えたからです。選挙戦で掲げてきた、そして私がライフワークとして実現を目指す政策のうち、最も優先するのが以下の三本柱です。
「ゆりかごから墓場まで誰もが安心して暮らすことができる社会保障」
「夏の異常な暑さ、災害の激甚化の原因となっている気候変動への対策」
「自分の口に入る食べ物、食の安全につながる農林水産漁業の発展」
新党の綱領案と私の三本柱は矛盾するところがありませんでした。国会という数が力である舞台において、自分が優先したいことが新党の綱領案の中で認められている。これが私が大きな塊、新党に参加を決めた最大の理由です。
第二の理由は、政治は、有権者の皆様から分かりやすく、シンプルな形を作る義務があると考えたからです。この3年近く、国民民主党の衆議院議員の一員として、どの野党よりも政策提言・提案・対案を出してきた自負があります。新型コロナウイルス対策で国民の皆様に10万円をお配りした「特別定額給付金」は私たち国民民主党が最初に提案をし、難色を示す自民党や官邸にしびれを切らした公明党が代表自ら総理に直談判し、実現したという経過がありました。
しかし、ほとんど誰もこうした事実は知りません。有権者の皆様は、自身の生活や仕事があり、それほど暇ではないからです。政治は、わかりやすい選択肢を作らなければならないと確信をしました。それなら、新党に行くべきと考えました。
そして最後の理由は、政策や国会運営の考え方で相いれないところがあるから離れるのではなく、中から変えていくことこそが国益につながると考えたからです。私は、これまでの国会質疑44回、18時間2分の中でスキャンダル追及に費やした時間は「0秒」です。その一方で、立憲民主党はスキャンダル追及が少なくありませんでした。
そこで「意見や文化が異なるからと我が道を行く」と細分化するよりも、私が正しいと思う文化をより大きな塊に根付かせる方が、国民の皆様、納税者の皆様、そして私が納得がいくと考えたからです。
政治の世界に導いてくれた玉木雄一郎代表、理念・政策に強く共鳴し、人としても大好きな前原誠司衆議院議員と別の道を歩むのは心からさみしいですが「この人が好き」「この人が嫌い」で進路を決めるべきではないと確信しています。
私は自民党に見習うべきことは多いと考えています。原発推進から反対、憲法改正から護憲、消費税増税から減税、とてつもなく幅が広いです。しかし決めるところでは一つになります。一方で、民主党は同じように幅は広いが、一つになれませんでした。自民党の戦後の日本をけん引してきた「責任政党」の矜持ともいえます。その政党と肩を並べて政権交代を繰り返す塊を作りたいのなら、この程度の差で一つになれなければ、政権など永遠にお預かりできません。大企業に軸足を置いた自民党と働く皆様に軸足を置く大きな塊。この2つの政党が定期的に政権交代を繰り返す。こんな日本を目指し、活動します。