何人かの方にご要望いただきましたので、東愛知新聞に寄稿した文章を投稿させてもらいます。来月1日には、もう少し深掘りしたコロナ後の世界について投稿します😊
コロナ後の世界
岩手県宮古市で鮓屋を営む男性は、東日本大震災の津波で店舗がカウンターまで浸る被害にあい、親族も失っている。その方と昨日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて連絡を取ると、受話器から聞こえてくる言葉は、今回の事態の恐ろしさを端的に表す言葉だった。
「津波は、どんなにつらくても怖くても、仲間と手をつないで、励ましあうことができた。でもコロナは手をつなぐこともできないし、直接声を掛け合うこともできない。今のほうが、怖い」
コロナ後の世界、新常態、何が大切になるのか。
職場、家庭、学校、地域社会。あらゆるステージで様々な変化が起こる。たとえワクチンが開発されたとしても、混雑する場所をより敬遠するであろうし、人間同士の交流のうち、電話、インターネット、メール、SNS(ソーシャルネットワーク)などの非接触の割合が高まる。
職場では、毎日出勤して、わざわざアポイントを取って打ち合わせをするより、お互いに交通費もかからず、手間もかからず、効率的だからインターネット会議ですませばよい。報告連絡相談もメールやラインですませばよい。
家庭では、里帰りを例にとろう。帰省で混雑する駅などでコロナに感染するリスクにさらされたくないし、(このような思考回路は数年間、多くの人が抱くと予想される)おじいちゃんとおばあちゃんとはテレビ電話で話せば良いだろうということになろう。
学校では、指導要領でやらなければいけないことをオンライン授業で勉強をして、受験に備えてオンラインで予備校の勉強をしたらよい。どこに住んでいる子どもも平等にオンライン授業が受けられるようネット環境が向上するだろう。
地域社会でも、メールや紙で最低限共有しなければいけない自治会の予算などの議案を処理して終わらせることになるかもしれない。有事に備えて、オンラインの会議をすることでコミュニケーションをとればよい。
しかし私は、人と人が直接目を合わせ、手を握り、会話を交わし、酒を酌み交わし、時には口論となる交流の大切さがこれまで以上に高まり、そのコミュニケーション能力が求められることになると確信している。
政治家として、直接目を合わせて握手をして話すことを何よりも大切にし、それは真剣勝負だと思って臨むようにしている。こちらがどのような覚悟で臨んでいるのか、表情や握った手から、感じている恐怖や情熱、そして気のゆるみまでも伝わってしまうからだ。
SNSの「いいね」は、どこまでいっても「いいね」以上でも以下でもない。オンラインミーティング、オンライン飲み会。素晴らしいことだ。ただ、どこまで行っても話しているのは生身の人間ではなく、液晶画面だ。
仮想現実の割合がさらに高まるコロナ後の世界でこそ、手をつなぎ、見つめあい、人に思いを伝えたり、人の思いを受け止めたりする能力が求められ、その能力が高い人材が求められるのだろう。つまりコロナ後の世界、ニューノーマル、大切なものは、変わらない。