こんにちは!せき健一郎です。
ブログでは、多くの皆様から受けた質問にお答えしていきます。表題のとおり「なぜ豊橋・田原の愛知15区?」についてお話しさせていただきます。
「なぜ民主党?」でも書きましたが、NHKの記者として高松放送局に勤務しているとき、民主党の衆議院議員として日本のために働きたいと決意しました。私がその決意を香川県の民主党の関係者に伝えると、民主党本部の選挙対策の最高責任者と面接をするところまで導いていただきました。(匿名ですいません)
その時、最高責任者が私に言ったのは「どこの選挙区から立候補したいのか、しっかり、じっくり考えなさい。そこは、自分が、家族が一生住む場所になる。どこで選挙に出るのか家族で話し合いなさい。それでやはり無理だという結論でも私はあなたの決断を批判しない」厳しい中でも温かい言葉でした。
人生を振り返りました。鎌倉、東京、高松、豊橋・田原。思えばいろいろなところに住みました。その時、豊橋支局時代のことがすぐに頭に浮かびました。最初はなかなか心を許してくれなかった取材先の人たちが、2年後の豊橋を離れるとき、泣きながら僕の引っ越しの手伝いをしてくれました。当時交際中だった妻ともどもかわいがってもらい、東京で開いた結婚式にも来てくれました。私個人としての結論は出ました。
あとは家族にとってどこがいいかを考えました。私が選んだ選挙区が、私と妻の終の棲家となり、私が世界で最も大事にしている2人の子どものふるさとになります。やはり大好きになってほしいし、誇りを持ってもらいたい。今まで自分が住んだ場所を思い浮かべました。雄大な自然、市電が走る街並、そしてあたたかみのある住んでいる人たち。家族で豊橋、田原に骨を埋めよう。そう腹を決めました。
「保守が強いよ?」「追い風が吹いてないよ?」「準備期間もないしやめといたほうがいいよ?」多くの方々から、ご指摘をいただきました。しかし、まったく心は揺れませんでした。それは、選挙区を選ぶ理由にはならないからです。
私は、この地域のため、そして日本のために人生を捧げる。そう誓い、この豊橋・田原に落下傘候補として出馬させていただくことを決めました。