桜丘の敷地には原爆の残火が灯された塔と、ウクライナの国旗が掲げられています🇺🇦
ウクライナ危機に対して桜丘の子どもたちがあげた声を記事にしました📰
編集後記に僕の想いを綴りました。ご一読ください🙇♂️
編集後記
国際政治を学び、政治を志した人間として想う。武力による現状変更は絶対に許されるべきものではない。そして、戦争反対を主張することはとても大切なことだ。と同時に、なぜ国家という概念ができてから戦争が無くならないのか。歴史を学び、当事者に思いをはせる必要があるのではないか。
国際政治にはリアリズムとリベラリズムという二つの大きな流れが存在する。リアリズムは、国際社会は権力闘争の場ととらえ、国の安全を保障することを最大の目標とする。リベラリズムは国際社会を協調の可能性を探る場と捉え、平和のために協調することもできると主張する。
今回のウクライナ危機、分かりやすく言うとロシアは「北大西洋条約機構(NATO)の皆さん、ウクライナのこと仲間にいれないでって言いましたよね?だって、ロシアの領地を攻めやすくなっちゃうじゃないですか。散々やめてって言うのにやめないんで、領土と国民の命を守るためにウクライナ攻めるしかないです」という論旨。
ウクライナにしてみれば「ロシアを攻める気なんてあるわけないです。いろんな国と相互依存関係を作っていくことが目標だから。ロシアとも西側諸国とも連携をとってこの地域の安定を図ろうとNATOさんにも入れてもらおうとしてたのに武力による現状変更は、なしでしょう」となる。
武力による現状変更は到底許されるものではない。ロシアの行動は当然非難されるべきだ。そのうえで、なぜ人の命が奪われる戦争が無くならないのか。民族として、国家として、命に代えてでも守らなければならないものが双方にあるからだ。ここに国際政治の矛盾が存在する。その矛盾にたどり着ければ、日本が抱える国際社会における課題も浮き彫りになるのではないか。