地元紙に寄稿させていただきました😃とても長いですが、時代の節目、未来を見据え、想いを綴りました。ご笑覧ください😃
=====================
「素晴らしい政策だ。だが私たちの政策も素晴らしい」
~「令和」に目指すべき政治像~
冒頭、謹んで、天皇皇后両陛下、並びに皇室の弥栄を祈念する。
平成最後の衆議院選挙で当選をさせていただき、
令和の時代の幕開けに国会議員として仕事をさせていただくことは、光栄の極みであり、そのすさまじい重圧も痛感している。
そこで、40歳の若輩者の、2年足らずの国会議員としての活動から抱いた問題意識をもとに、
令和の時代に目指すべき政治の姿について、論じたい。
衆議院議員の1年生で定期的に懇談の場を設置していたが、いつからか、慶應義塾卒業の気の合う仲間4人だけで卓を囲むようになり、
生意気に天下国家を語り合うことにしている。
私以外は3人とも自民党で、その名前を聞けば、親族に総理大臣など・・・私以外はそうそうたる血筋だ。
生きてきた歴史を反映する、根底に流れる政治哲学も違う。
ただ、日本の未来への深刻な危機感と、私たちの世代でなんとかしなければとの矜持は、共有している。
「人口の減少は?実質賃金の下落傾向は?社会保障政策の限界は?財政再建は?」青臭い議論が続く。
わたしは、彼らに心から負けたくないし、政権交代を実現させ、「尊厳ある生活保障」を実現させたいと切望している。
その一方で、彼らの議論は、心から納得するし、論理的でもある。これだけ青臭い議論を戦わすことができる相手を誇りに思う。
単純にいうと、彼らのことが大好きだ。
この仲間と口角泡を飛ばす時間は、地元で、交差点で街頭演説をする時に、畑を回るときに、はたらく人と話をするときに。
つまり、政治家・関健一郎の足腰となる活動へのモチベーションとなっている。
もっと現場を知ろう、もっと今を生きる人の話を聞かないと、あいつらに論破されてしまう。そんな思いもある。
この仲間と話しているときに、あることに気がついた。お互いの議論のいいところに焦点が合っている。
そのいいところより、さらにいいところが自分の理念にはあるぞ、または、今の時代背景には自分の政策が合理性があるぞ、
こういう議論になっていることに気づく。
「早く世代交代を進め、改革を断行しよう」この土台が共有できているからこそ、後味がいいのかもしれない。
NHK経済部記者時代、キリンビールとアサヒビールの社員を同じテーブルで取材したことがある。
キリンビールの社員は「スーパードライのすっきりさをどうすればこえられるのか」と悩む。
アサヒビールの社員は「ラガーの苦みを超えるインパクトを口の中に残したい」と悩む。
この取材の後、両方の銘柄を頼んで、飲み比べたが、あれだけビールをおいしく感じたのは、後にも先にもない。
これが、けなし合っていては、その後「とりあえずビール」ということにはならないのではないか。
政府が、傲慢なのか、暴走しているのか、忖度しているのか。国民の皆様はじっと見ている。
野党が、批判ばかりしているのか、揚げ足取りばかりをしているのか。国民の皆様はじっと見ている。
どちらにも言い分があるのはわかるが、この「足の引っ張り合い」こそが、
政治嫌いを、政治への諦めを、そして冷笑を呼び起こしているのではないか。
令和の時代、私は、以下のような情景を想像して、一人わくわくしている。
その舞台は、国民の皆様が「もっとまともな議論をしろ」とあきれている衆議院予算委員会。
僕が「確かにあなた方の政策は、素晴らしい。ただ、私たちは、この問題についてこんな意見を持っている。
こちらの方が素晴らしくはないか?」と問い詰める。
相手は「確かにそうだ。ただ、私たちはこういう点で、あなた方の主張より、国民の皆様に支持されている」とやり返す。
お互いのその表情には、相手への敬意と自らの発言への誇りに満ちている。国民の皆様には頷きながら予算委員会を見ていただき、
子どもたちは、スポーツ選手を見るような目で国会を見ている。
その延長線上に見えるのは、
自己責任を前提とした自由主義的な政治哲学に対して、頼り合いを前提とした、社会民主主義的な政治哲学。
時代の構造の変化や大衆の心理に合わせてこの二つの政治哲学に基づいた政党が政権交代を重ねる政治の姿だ。
こんな情景を夢見ている。
最後に、私が落選中に心が折れたときに必ず聞いていたサザンオールスターズの歌「ピースとハイライト」の
歌詞の一説を引用したい。
「いろんな事情があるけどさ、知ろうよ 互いのイイところ!」
令和の時代が、この国に生きるすべての皆様にとって、そして世界が平和であることを祈って、筆を置く。